こんにちは、けいタンです。
今回は日本史のことについて話していきます。
今回のテーマについて
今回取り上げるテーマは、またまた古墳時代の次である飛鳥時代の文化や宗教について
「仏教を通して隆興したきらびやかな飛鳥文化の幕開け」という内容について見ていくことにしましょう。
少し前の記事ではありますが、第14回目の「日本にもたらされた仏教」では、
日本にもたらされた最先端の思想である「仏教」について、そもそも仏教は百済により伝来し、
仏教は政治と密接し、以降日本史上にさまざまな影響を与えた…
ということについて見ていきました。
つまり、仏教は当時の最先端の文化で、政治の権力や勢力争いにも関わっていったのです。
そして今回のテーマは、そんな仏教が関係している飛鳥文化について、
「仏教の影響を強く受けた飛鳥文化」という題目で、見ていきましょう!
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今回のテーマに対する結論
まずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。
仏教と飛鳥文化については、
仏教が伝来し、仏像の輝きや寺院の壮大さは、人々を圧倒させると同時に、仏教(飛鳥)文化の始まりでもありました。
では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。
仏教文化の幕開け
詔による豪族と寺院
仏教伝来から半世紀が過ぎた594年に、推古天皇が仏教の功徳によって国政を改革しようと
「三宝興隆の詔(さんぽうこうりゅうのみことのり)」を発しました。
そして、これを受けて斑鳩(いかるが)というところに法隆寺が建立されました。
また、法隆寺が建立されたのをはじめ、蘇我氏の飛鳥寺や秦氏(はたうじ)の広隆寺などのように、
各豪族たちにより氏寺が建立されたのです。
仏像制作と工芸品と飛鳥文化
それに付随して仏像制作も進んでいきました。
例えば、止利(とり)法師が作った金銅制の法隆寺釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)や、
飛鳥寺の釈迦如来像(しゃかにょらいぞう=飛鳥仏像)などが有名ですね。
そしてその他にも、玉虫厨子(たまむしのずし)や四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)、
天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)といった多くの工芸品も作られ、
仏教寺院を中心とした国際色豊かな飛鳥文化が花開いたといえます。
遣唐使がもたらした白鳳文化
白鳳文化と壁画について
645年の大化の改新から、710年での平城京への遷都までの飛鳥時代後半にかけては、
天皇主導で発展した文化であり、これを白鳳文化といいます。
その特徴は、遣唐使がもたらした大陸の文化の影響が見られることにあります。
具体例として例えば、インドのアジャンター石窟壁画に酷似している法隆寺金堂壁画や、
中国風の盛装敬礼をする女性が描かれている高松塚古墳壁画などが挙げられます。
白鳳文化での仏像や建築
仏像では旧山田寺仏頭、薬師寺薬師三尊像などが有名です。
そして、正面から見たときの印象に重きを置いた飛鳥時代前半の仏像に比べて、
飛鳥時代後半の仏像(白鳳文化)は、360度どこから見ても整っているプロポーションや
細かい装飾表現から、鋳造技術の発展を垣間見ることができます。
あと、建築では天武・持統天皇が発願した薬師寺が代表的であります。
まとめ~仏教の色が強く入っている飛鳥文化!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき仏教と飛鳥文化に関する4つのこと
- 594年に、推古天皇が仏教の功徳によって国政を改革しようと三宝興隆の詔を発した
→斑鳩に法隆寺が建立された - また、蘇我氏の飛鳥寺や秦氏の広隆寺のように、各豪族たちにより氏寺が建立された
- 止利法師が作った金銅制の法隆寺釈迦三尊像や、飛鳥寺の釈迦如来像(=飛鳥仏像)などの仏像制作も進んでいった
→仏教寺院を中心とした国際色豊かな飛鳥文化が花開いた - 645年の大化の改新から、710年での平城京への遷都までの飛鳥時代後半にかけては、天皇主導で発展した文化であり、これを白鳳文化という
→その特徴は、遣唐使がもたらした大陸の文化の影響が見られることにある
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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