日本史~岩宿遺跡と旧石器時代~051(歴史⑥)

歴史(日本史)

こんにちは、けいタンです。

今回は日本史についてお話していきます。

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今回のテーマについて

前回は人類はどのようにして日本に到達したのかというテーマについて解説しましたね。

そして今回のテーマは「岩宿遺跡と旧石器時代の関係」についてお話していきたいと思います。

岩宿遺跡と旧石器時代の関係といっても多くの方にとっては何のことやらだと思います。(笑)

次の「この疑問に対する解答」のところでもまたいいますが、

岩宿遺跡で発見された石器が日本に旧石器時代があることを証明したのです!

そんなこといってもこのことは、私みたいな歴史大好き人間以外の方にはあまり興味がないかもしれません。

ですが、ここまで読んでくださったユーザーの方には是非とも最後まで読んでから

この記事が面白いか面白くないか判断してください!

もしかしたらすごい面白い内容だったりして…(笑)

では、前置きはここまでにして早速、話の結論から見ていきます。

・合わせて読みたい前回の関連記事:日本史~歴史の魅力を語る~012(歴史①) – (keitan-zatsugaku.com)
歴史を学ぶメリットや面白さが分からない方に必見!
歴史の魅力について存分に書き記したものです。

・合わせて読みたい前回の関連記事:日本史~人類はどのようにして日本に到達したのか~044(歴史⑤) – (keitan-zatsugaku.com)
↑どのようにしてアフリカで誕生した人類が日本に到達したのか?
このことについて知らない方だけ3分間で見てくださいね!

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この疑問に対する解答

岩宿遺跡と旧石器時代の関係性とは!?

では話の結論をしていきましょう。

冒頭でもいいましたが、

岩宿遺跡で旧石器が発見されたことで、縄文時代以前の日本での人類の活動が証明されたのです

そしてここからは、今回のテーマについて一つひとつ確認して詳細を見ていきましょう。

岩宿遺跡発見の意義

現代と戦前の定説の違い

現在の歴史の教科書では、日本には旧石器時代が存在しているという記述があります。

しかしながら、戦前の定説では約1万年前に完新世が始まるまでは、

人類は日本列島にはいなかったとされていました。

完新世とは、地質時代の区分の一つで、最も新しい時代のことを指します。

そして完新世の期間は、更新世の最後の氷期が終わり、温暖化が始まった1万年前から現在までで、

人類が大発展し、ほぼ新石器時代以降にあたります。

ちなみに「もともと日本列島にいつから人が住んでいたのか?」という疑問については、

下の記事により詳しくまとめているので参考にしてください。

・合わせて読みたい前回の関連記事:日本史~人類はどのようにして日本に到達したのか~044(歴史⑤) – (keitan-zatsugaku.com)
↑どのようにしてアフリカで誕生した人類が日本に到達したのか?

岩宿遺跡と旧石器

戦前の定説では約1万年前に完新世が始まるまでは、人類は日本列島にはいなかったとされていましたね。

ところが、1946年に考古学者の相沢忠洋(あいざわただひろ)が群馬県の岩宿遺跡で石器を発見しました。

これは更新世末期の火山活動でできた関東ローム層から出土したものであり、

日本にも1万年以前の旧石器文化があったことが証明されたのです

更新世とは、地質時代の区分の一つで、170万年前から1万年前までを指します。

また、氷期と間氷期を繰り返した氷河時代で、人類の歴史では旧石器時代にあたります

日本列島の人類の起源をいつとするかの厳密な定義や議論は、現在も明確に定まってはいませんが、

今のところでは最も確実な日本最古の人類の痕跡は、約4万年前の石器であると考えられています。

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打製石器とその背景

旧石器時代と打製石器

打製石器は旧石器時代に使われていた!

次に、打製石器について少しだけ見ていきます。

そもそも「打製石器」は歴史の授業で習った言葉の1つですね。覚えていますか?(笑)

旧石器時代の人類は土器というものを使用せず、

石を打って欠いて制作した石器(これを打製石器という)を使っていました

そして洞穴や岩陰で暮らしながら、獲物を追って頻繁に移動していたといわれているのです。

おまけ的な内容ですが、長野県の野尻湖遺跡からは、

1度は聞いたことがあるナウマンゾウやオオツノジカの化石や、

動物の骨や角を割って作った道具である骨角器も見つかっており、当時の生活の状況を伝えています。

時代と石器の変化

そして2万年前には、気候が少しずつ温暖化していくことでナウマンゾウのような大型動物の姿は見られなくていきました。

その代わり小動物が現れ、獲物の小型化は石器にも変化をもたらしたのです

どういうことかというと、同じ旧石器時代でも、時代が進んでいくと打製石器の大きさが小ぶりになり、

機能性が増すような変化が遺跡で見られる石器などから読み取れるということなのです。

まとめ~遺跡から当時の生活の様子が分かる!

いかがだったでしょうか。

それでは今回のまとめを行っていきます。

確認しておくべき岩宿遺跡と旧石器時代に関する6つのこと

  • 戦前の定説では約1万年前に完新世が始まるまでは、人類は日本列島にはいなかったとされていた。
  • 完新世の期間は、更新世の最後の氷期が終わり、温暖化が始まった1万年前から現在までを指す。
  • 1946年に考古学者の相沢忠洋(あいざわただひろ)が群馬県の岩宿遺跡で石器を発見した。
  • 更新世の期間は、氷期と間氷期を繰り返した氷河時代で、人類の歴史では旧石器時代にあたる。
  • 旧石器時代の人類は土器というものを使用せず、石を打って欠いて制作した石器(これを打製石器という)を使っていた。
  • 2万年前には、大型動物に代わって小動物が現れ、獲物の小型化は石器にも変化をもたらした。

ちなみに岩宿遺跡の発見以降、全国各地で旧石器時代の遺跡が確認されています

そしてこれらの遺跡から発掘された打製石器というのは、地域によって材料や種類に違いが見られているのです。

同じ時代でも地域によって打製石器の種類が異なるってとっても面白くないですか!(笑)

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

【LOWYA】



では、またお会いしましょう。けいタン
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このことについて知らない方だけ3分間で見てくださいね!


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