こんにちは、けいタンです。
今回は日本史についてお話していきますね。
今回のテーマについて
前回は「岩宿遺跡と旧石器時代の関係」というテーマについて解説しました。
覚えているでしょうか?
そして気になる今回のテーマは「三内丸山遺跡と縄文時代」についてです。
ちなみに前回は、「旧石器時代」のことを説明するにあたって有名な
「岩宿遺跡」を1つの例にしてお話ししました。
なので今回も前回と同じように、石器時代の次である「縄文時代」をこちらも有名な青森県にある
「三内丸山遺跡」を中心にして分かりやすく解説していこうと思います。
また、こちらのことに関しては次の「この疑問に対する解答」のところでもいいますが、
実は、三内丸山遺跡は一大交易圏の中心だったのです!
そんなことをいっても、私みたいな歴史大好き人間以外の方にはあまり興味がないかもしれません。
ですがこちらも前回同様に皆さんは是非、
最後まで読んでからこの記事が面白いか面白くないか判断してください!
では前置きはここまでにして、まずは話の結論から見ていきましょう。
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今回のテーマに対する結論
では話の結論をしていきましょう。
冒頭でもいいましたが、
縄文時代の三内丸山遺跡などの遺跡から様々な交易品が発掘され、
大規模な集落や交易があったことが判明しました。
そして特に、縄文時代の通説を大きく覆した青森県の三内丸山遺跡は一大交易圏の中心でした。
そしてここから以降は、今回のテーマについて一つひとつ詳細を見ていくことにしましょう。
縄文時代のはじまり
新石器時代と縄文時代
約1万年前に、石を磨いて作る「磨製石器」というものを使用する新石器時代が始まりました。
ちなみに前回取り上げた旧石器時代では、石を打って欠いて制作した「打製石器」を使っていましたね。
ということは、時代によって使われる石器の種類も異なるというわけなのです。
この新石器時代のころから、
いわゆる土器の使用が始まり、特に縄目がついた「縄文土器」が使われるようになりました。
ですから、このことから日本における新石器時代は「縄文時代」と呼ばれるのです。
変わりつつある常識や通説
縄文時代の始まりは、約1万3000~1万2000年前といわれています。
しかしながら、青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡から出土した土器は、
約1万6500年前のものという測定結果が出ており、常識や通説が変わりつつあるのです。
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三内丸山遺跡から分かること
そして、通説が変わり続けてきた縄文時代の研究の中で大きな印象を残したのが、
今回の記事の中で何度も登場している、こちらも青森県の「三内丸山遺跡」の発掘です。
集落に定住していた縄文人
そもそも三内丸山遺跡は縄文時代の前期から中期にかけて、おおよそ1500年間も続いたとされる巨大集落です。
それまでは、縄文人の生活は不安定な狩猟や採取に頼っており、何度も移動を繰り返していたと考えられていました。
ですが、三内丸山遺跡からは大型の住居跡や巨大な物見やぐらなどの遺構(昔の建築物の残骸)が発見され、
縄文人も定住して生活していたことが示されたのです。
とっても面白いでしょう~(笑)
今まで、ただただ暗記していただけでは得られなかった内容だと思います。
つまり、遺跡からは当時の生活の様子が分かるというのはこういうことなのです!
出土品と鉱物
最後に三内丸山遺跡の出土品には、近隣では到底採れない鉱物が存在していたのです。
例えば、装身具の原料になヒスイは、新潟県の糸魚川(いといがわ)産であることが判明しました。
その他にも黒曜石(こくようせき)やコハクなどが、
縄文時代の交易圏を推定する手がかりとなるのです。
すなわち、鉱物の出土品から縄文時代ではすでに交易が行われていたことが分かるのです。
まとめ~遺跡から当時の生活の様子が分かる!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき三内丸山遺跡と縄文時代に関する5つのこと
- 約1万年前に、石を磨いて作る「磨製石器」を使用する新石器時代が始まった。
- 日本における新石器時代は「縄文時代」と呼ばれる。
- 三内丸山遺跡は縄文時代の前期から中期にかけて、おおよそ1500年間も続いたとされる巨大集落である。
- 三内丸山遺跡からは大型の住居跡や巨大な物見やぐらなどの遺構(昔の建築物の残骸)が発見され、縄文人も定住して生活していたことが示された。
- ヒスイやコハクなどの鉱物の出土品から縄文時代ではすでに交易が行われていたことが分かる。
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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