こんにちは、けいタンです。
今回は日本史のことについて話していきます。
今回のテーマについて
今回取り上げるテーマは、またしても飛鳥時代の次である奈良時代の社会について
「律令によって整えられた土地制度が崩壊した理由」という内容について見ていくことにしましょう。
701年に制定された大宝律令によって、土地をはじめとする統治制度が始まりましたが、
半世紀もすると、そのような土地制度は崩壊してしまいました。
今回はその理由について、じっくり深掘りしていこうと思います。
ということで今日のテーマも、なかなか面白い内容ですので、興味をもって見てみてください!
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今回のテーマに対する結論
まずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。
律令で制定された土地制度が崩壊になった簡単な経緯を説明すると、
大宝律令が制定されるも、重税に耐えかねた農民が離散し、それが公地公民制度の崩壊につながった、
ということです。
では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。
律令による統治制度が完成する

大宝律令の内容
冒頭でも言いましたが、701年に「大宝律令」という律令が制定されました。
これによって、中央組織として二官八省の官僚機構が整えられ、
地方組織を畿内と七道に区分して、国・郡・里という行政区画が設置されました。
また、中央から派遣された国司が郡司に命じて戸籍を作らせるなど、
行政システム(律令官制)が完成しました。
さらに、朝廷に出仕する官吏に位を与え、位階に応じて免税特権などが与えられました。
公民と重すぎる負担
官僚が、先ほどのような律令官制に基づいて役職や地位が決められ、
位階に応じて免税特権が与えられたのに対し、
公民(=庶民)には口分田を貸し付け、租・調・庸と呼ばれる税のほか、
雑徭や兵役などの役が課されました。
したがって、これにより天皇家を中心とする律令国家体制が整い、
朝廷は安定した税収を得られるようになると思われたのです。
この先に起こるシナリオとはいかに
なんか官僚が優遇されて、公民がかわいそうな気がしますね。
それと同時に、この奈良時代の大宝律令による社会は、現代と結構似ている状況なのでは…?
と思う自分がいますが、みなさんはどう思いますか?
とにかく、公民は重い税や長い役を受けて大変だったのです。生活が苦しかったのです。
ということは…どうなるか何となく予想できますね。
また、朝廷は安定した税収を得られるようになると思われたのです、という文の
「思われた」という表現についても、何を意味しているのか想像するといいかと思います。

私財法により荘園が増加する

税を放棄する農民たちとなんとかしたい朝廷
大宝律令の制定によって、天皇家を中心とする律令国家体制が整い、
朝廷は安定した税収を得られるようになると思われたのですが、
先ほどにも言ったように、租税や労役の膨大な負担に耐えかね、
農地を放棄する農民が続出しました。(気持ちはすごく分かる)
そうなると、困るのは朝廷側です。
窮地に立たされた朝廷は、723年に灌漑施設(かんがい)を新設して墾田を行えば、
三世代にわたって土地の所有を認める「三世一身法」を発布しました。(3世代に限ってOK!)
さらに、743年には墾田した土地の永年にわたる所有を認める
「墾田永年私財法」を発してこの苦境を乗り切ろうとしたのです。(何世代でも所有してOK!)
農民にとって嬉しい話と思われたが…
しかしながら、灌漑施設の設置には多大な費用と労力を必要としたため、
実際には農民たちの手には負えず、裕福な貴族や大寺院らの所有地=初期荘園を
増やすばかりであったのです。
まとめ~土地制度法は初期荘園の誕生のきっかけとなった!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき大宝律令と土地制度に関する6つのこと
- 701年に「大宝律令」が制定された
→中央組織として二官八省の官僚機構が整えられ、地方組織を畿内と七道に区分して、国・郡・里という行政区画が設置される - 中央から派遣された国司が郡司に命じて戸籍を作らせるなどの行政システム(律令官制)が完成する
- 公民(=庶民)は口分田を借り、租・調・庸と呼ばれる税のほか、雑徭や兵役などの役が課された
→天皇家を中心とする律令国家体制が整い、朝廷は安定した税収を得られるようになると思われた - しかし、租税や労役の膨大な負担に耐えかね、農地を放棄する農民が続出した
- 朝廷は、723年に「三世一身法」を発布し、743年には「墾田永年私財法」を発してこの苦境を乗り切ろうとした
- ところが、灌漑施設の設置には多大な費用と労力を必要としたため、実際は農民たちの手には負えず、裕福な貴族や大寺院らの所有地=初期荘園を増やすばかりであった
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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