こんにちは、けいタンです。
日本史のことについて話していきます。
今回取り上げるテーマは?
今回取り上げるテーマは、奈良時代の外交について
「苦難の航海の果てに遣唐使がもたらしたもの」という内容について見ていくことにしましょう。
遣唐使や遣隋使については、皆さんの多くが小学校や中学校の歴史の授業で聞いたことがある言葉だと思います。
その中でも、遣唐使…「唐」の国からやってきた人について、その航海が危険だったことや、
遣唐使が奈良時代だった日本にもたらしたものなどについて説明していきます!
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今回のテーマに対する結論
まずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。
困難なつきまとわった航海と遣唐使について、
遣唐使は唐の進んだ律令制度に加え、大陸の文化を持ち帰り、日本文化の発展に貢献した
といえます。
では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。
唐の文化や制度を導入
なぜ遣唐使を派遣するのか?
618年に隋という国が滅び、それに代わって唐が建国されると、
唐の律令制度を学ぶ必要性に加え、最先端の技術や唐の文化に対するあこがれが高まり、
第一次遣唐使というものが派遣されました。
ちなみに、遣唐使は白村江の戦いによって途絶えたこともありましたが、894年に菅原道真の提案で
停止となるまでの間、十数回派遣されたそうです。
教科書に名が残る遣唐使たち
遣唐使の中には、橘諸兄(たちばなのもろえ)を補佐した吉備真備(きびのまきび)や、
帰国を果たせず玄宗皇帝に仕えた阿倍仲麻呂、
唐風の書の名手として活躍した橘逸勢(たちばなのはやなり)、
僧の最澄や空海らなど、日本の政治や文化の発展に大きく貢献し、
歴史に名を遺した人物も多くいました。
特に、最澄や空海は小学生でも知っていますよね。
これらの人々の活躍もあり、奈良時代は唐の文化や制度をうまく取り入れることができたのです。
遭難も相次ぐ危険な航路
鑑真から分かる多数の海難事故
唐の僧である鑑真が度重なる海難事故の末に、754年の遣唐使の帰国船に乗って渡来したことは
多くの人に知られている事実でしょう。
それほど、当時の状況では唐に行くのも大変だったのです。
といっても当初は、比較的安全な朝鮮半島西岸沿いの北路を通ることができ、そこを通って唐まで行っていました。
しかし先ほどにも軽くふれたように、白村江の戦い以降になると、
日本と新羅の関係が悪化するにつれて、東シナ海を直接横断する南路を通らざるを得なくなってしまいました。
その結果、遭難する船も多く、遣唐使の航海は常に危険と隣り合わせだったのです。
遣唐使の停止と廃止
それほどのリスクを背負いながらも重要な役割を担った遣唐使も、
唐が弱体化すると、もはや最先端どころか得るものがなくなったので、遣唐使は停止されました。
そして、唐の滅亡によって事実上遣唐使の廃止となったのです。
まとめ~唐の文化を取り入れるにはそれ相応のリスクが伴った!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき遣唐使に関する4つのこと
- 唐の律令制度を学ぶ必要性に加え、最先端の技術や唐の文化に対するあこがれが高まり、第一次遣唐使というものが派遣された
→894年に菅原道真の提案で停止となるまでの間、十数回派遣されたそうです。 - 遣唐使の中には、吉備真備や最澄、空海などの日本の政治や文化の発展に大きく貢献し、歴史に名を遺した人物も多くいた
- 唐の僧である鑑真が度重なる海難事故の末に、754年の遣唐使の帰国船に乗って渡来したことからも唐に行くことの過酷さがうかがえる
- 当初は、比較的安全な朝鮮半島西岸沿いの北路を通ることができ、そこを通って唐まで行っていた
→しかし白村江の戦い以降になると、日本と新羅の関係が悪化するにつれて、東シナ海を直接横断する危険な南路を通らざるを得なくなってしまった
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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