日本史~日本にもたらされた仏教~105(歴史⑭)

歴史(日本史)

こんにちは、けいタンです。

今回は日本史のことについて話していきます。

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今回のテーマについて

今回取り上げるテーマは、古墳時代の次である飛鳥時代の宗教について

「日本にもたらされた最先端の思想である仏教」という内容について見ていくことにしましょう。

この飛鳥時代に、仏教が日本にもたらされたのですが、

そんな「仏教」について簡単にですが、眺めていくとしましょう。

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今回のテーマに対する結論

まずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。

日本にもたらされた最先端の思想である「仏教」について、

そもそも仏教は百済により伝来しました。

そして、仏教は政治と密接し、以降日本史上にさまざまな影響を与えました。

では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。

仏教の起こりと伝来

日本にもたらされた仏教について見てみよう!

仏教の始まり

紀元前の450年頃に、釈迦(ガウタマ=シッダールタ)インドのブッダガヤというところで、

得た悟りを教え広めたのが、仏教の始まりなのです。

その後、東南アジアへは上座部(じょうざぶ)仏教として、

東アジアへは大乗(だいじょう)仏教として伝わっていきました。

日本に仏教が伝来したのは、「日本書紀」によると552年のことであったとされていますが、

一般的には、聖徳太子の伝記である

「上空聖徳法王帝説(じょうくうしょうとくほうおうていせつ)」に記された

戊午年(ぼごねん)=538年のほうを真説とします。

仏教を信仰することで得られるご利益

また百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)が、

金銅仏像や経論などを欽明(きんめい)天皇に献上し、

仏を礼拝すれば「無量無辺の福徳果報(=果たしない量のご利益)を生じる」と教授したそうです。

なんか難しそうな漢字や語句が結構な数が出てきていますが、

とにかく仏教を信仰すれば、果たしない量のご利益が生じる、

と伝えられて仏教は日本に広まったのです。

仏教徒の東漢氏と蘇我氏

東漢氏と蘇我氏と仏教の関係性

当時の朝鮮半島の勢力状況

唐突ですが、そもそもなぜ日本に仏教がもたらされたのでしょうか?

この些細な問いに答えるためには、当時の朝鮮半島の情勢を見ると分かるはずです。

朝鮮半島の南西部を支配していた百済は、勢力拡大を続ける高句麗(こうくり)から

軍事的な圧力をかけられ苦境に陥っていました

なんか、現代でも同じ似たようなことが起こっていますね…。

まあとにかく、百済は高句麗から圧力を受けていたわけです。

そこで、倭国(=日本)に援助を求める見返りとして、

最先端の文化の一つと見なされていた仏教を日本に伝えたのです。

蘇我氏VS物部氏

また、百済からの渡来氏族である東漢氏(やまとのあやうじ)と深く結びついていた蘇我氏は、

彼ら(東漢氏)が仏教を崇拝していたこともあって、仏教を容認しました。

一方で、保守派の物部氏廃仏派(仏教を取り入れない考え)にまわって蘇我氏と対立しました

やがては、戦火を交わることになります。

その結果、仏教を容認する蘇我氏が勝利し、蘇我氏は政治にも仏教を取り入れました

仏教については、奈良時代にもなると国家仏教へと進展し、

それ以降、仏教は明治政府の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)までに、

多くの為政者から信仰され続けたのです。

まとめ~仏教は当時の最先端の文化だった!

いかがだったでしょうか。

それでは今回のまとめを行っていきます。

確認しておくべき仏教に関する4つのこと

  • 紀元前の450年頃に、釈迦がインドのブッダガヤというところで、得た悟りを教え広めたのが仏教の始まり。
  • 百済の聖明王が欽明天皇に、仏を礼拝すれば「無量無辺の福徳果報(=果たしない量のご利益)を生じる」と教授した。
  • 仏教が日本に伝わるその当時、朝鮮半島では百済が高句麗から圧力を受けていた。
    →倭国に援助を求める見返りとして、最先端の文化の一つと見なされていた仏教を日本に伝えた。
  • 蘇我氏が仏教を容認する一方で、物部氏は廃仏派であったため対立が生じた。
    →仏教を容認する蘇我氏が勝利し、蘇我氏は政治にも仏教を取り入れた。

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

では、またお会いしましょう。けいタン
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