こんにちは、けいタンです。
今回は日本史についてお話していきましょう
今回のテーマについて
気になる今回のテーマは前回の縄文時代の続きとして、
「意外と知らない縄文時代の生活」について説明しようと思います。
前回は「三内丸山遺跡と縄文時代」というタイトルで、縄文時代の大まかなことや、
三内丸山遺跡から分かることをまとめましたね。
そこで今回は、前回の縄文時代の続きとして、「縄文時代の生活」にフォーカスして話していきます。
では早速ですが、準備はいいですか?
まずは、今回のお話のテーマの結論から見ていくことにしましょう。
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今回のテーマに対する結論
では、(例として簡単な「土器」についての)話の結論をしていきましょう。
縄文時代の生活の1つであった縄文土器は、人々の食生活とともに進化していきました。
また、縄文土器後期にもなると弥生時代と遜色ない土器も作られていきました。
話の結論として、簡単な縄文土器のことについて述べましたが、
他にも縄文時代の生活を特徴づけるものがあるので、
次の項目から見ていくことにしましょう。
貝塚から分かる縄文の生活
エドワード・モースと大森貝塚
縄文時代の人々の生活を探るための大きなヒントになるのが、各地に存在する「貝塚」です。
特に、有名な大森貝塚は、1877年(明治10年)にアメリカ人のエドワード・モースという人が発見し、
日本初の本格的な考古学調査が行われました。
貝塚については、ほとんど多くの方が知っているかと思いますが、
一応、念のために説明すると、
貝塚とは古代の集積場みたいなもので、貝殻や動物・魚の骨、当時の人が使っていたとされる道具や人骨などが出土します。
そしてこのような貝塚の考古学調査によって、
「狩猟や採取・漁労」を中心とする縄文人の生活のイメージが定着しました。
竪穴住居と当時の人々
また、貝塚の近くから発見される集落跡では、
こちらも「貝塚」なみにほとんどの方が知っているであろう「竪穴住居」が見られました。
竪穴住居は、数人から10数人が暮らせる縄文人の生活を大きく特徴づける住居のことです。
縄文時代前期には数個から10数個の住居からなる集落があり、
さらに縄文時代中期から後期にかけては数10個から100個程度の集落があったとされています。
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定住生活がもたらしたもの
定住生活で発展する農耕
人類が発展するための段階にはいろんなものがありますが、
一般的には、「農耕」を始めることで定住生活が可能になったとされています。
そして近年の研究によれば、
縄文人はクリやトチ(栃)、豆類などを栽培していたことが解明されたのです。
ということは、「農耕と定住は弥生時代に始まった」と教えられた方もいるかもしれませんが、
「農耕と定住は弥生時代に始まった」という定説は修正しなければいけませんね…。
精神活動も行った縄文人
農耕を始めることで、食料供給を安定させた縄文人たちは、
なんと面白いことに、生存することには直接的には関係しない「精神活動」もしていたとされています。
例えば、縄文土器に施された高度な装飾や呪術の道具である土偶がその一例になります。
縄文時代晩期での争いの痕跡
一方で、縄文時代晩期の貝塚から分かる人骨には、
殺傷の跡があるものが見つかっています。
これはどういうことを示しているのでしょうか?
おそらく、人口の増加や気候変動などによる食料の不足が原因で、
集落同士の争いが起きたと思われますが、
このことについては現代の世界にも当てはまりそうな(当てはまる)ことですよね。
なんだか怖くなってきました。(笑)
なので、最後にさっとまとめをして終わりにしましょう。
まとめ~縄文時代の生活は意外とすごい!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき縄文時代の生活に関する6つのこと
- 貝塚は古代の集積場みたいなもので、貝殻や動物・魚の骨、当時の人が使っていたとされる道具や人骨などが出土する。
- そして貝塚の考古学調査によって、「狩猟や採取・漁労」を中心とする縄文人の生活のイメージが定着した。
- また貝塚の近くから発見される集落跡では、縄文人の生活を大きく特徴づける「竪穴住居」が見られた。
- 近年のある研究で、縄文人はクリやトチ(栃)、豆類などを栽培していたことが解明された。
- 農耕を始めることで、食料供給を安定させた縄文人たちは、生存することには直接的には関係しない「精神活動」も行っていた。
- 縄文時代晩期には、人口の増加や気候変動などによる食料の不足が原因で、集落同士の争いが起きたと思われる痕跡(殺傷の跡がある人骨)がある。
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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