信教の自由Ⅰ~国と宗教は分けるべきなのか~136(憲法⑧)

憲法

こんにちは、けいタンです。

今日は8回目となる日本国憲法(憲法)について話していきたいと思います。

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今回のテーマについて

そして今回のテーマは信教の自由について、

「国と宗教は分けるべきなのか」というものになります。

つまり、新興宗教や信仰の自由、国教について考えていきます。

では早速、今回の内容である「信教の自由Ⅰ~国と宗教は分けるべきなのか」について

見ていくことにしましょう。

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今回のテーマに関する日本国憲法

第20条1項:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受 け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第20条2項:何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

第20条3項:国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

※参考 日本国憲法条文一覧リンク 日本国憲法|条文|法令リード (hourei.net)

新興宗教と信教の自由

新興宗教について見ていこう

信教の自由の最大の問題

では、唐突ですが皆さんにお聞きしましょう。

今日での「信教の自由」の問題を最もはっきり照らし出すのは何でしょうか?

少し考えてみて下さい。(これ!っといった正解はありませんので、自分なりに考えてみてください)

いろいろな意見があると思いますが、私けいタンは、新興宗教の活動だと思います。

そして、私のみならず、多くの社会学者や憲法学者が、

新興宗教の活動こそ「信教の自由」の問題を最もはっきり表していると思っているそうです。

ここで、新興宗教といっているのは、日本では1970年代以降に台頭したもの(=カルト)のことです。

新興宗教と既存宗教

このような新興宗教に関しては、かなりマスコミをにぎわせたそうです。

例えば、「エホバの証人」や「統一教会」

さらには、地下鉄サリン事件を引き起こした「オウム真理教」はもっとも有名な教団ですよね。

そもそも、どんな宗教ももとをただせば新興宗教だったのです。

そして、新しい宗教は、新しい真実や見方、生き方などを主張するものですから、

従来の社会秩序と衝突しがちなのはいうまでもありませんね

このように、新興宗教は絶えずいわば、摩擦の火種を抱えています。

それを乗り越え、社会との共存に成功したものが、既存宗教といわれるようになるというわけです。

新興宗教のさまざまな見方

また新興宗教は、全く信じない人からすれば、そもそも宗教にさえ見えないかもしれませんね

あと、信者の言動や外見が、奇妙であったり不快なものであったり、

さらには現在の社会秩序にとって危険ではないか、と思われるような宗教集団もあり、

それらの中には、集団的に修行生活をする教団もあり、

それは信者の親や兄弟にとっては、監禁とも感じられることも、もちろんながらあり得るのです。

したがって、国は手をこまねいて見ているべきではない、と主張する人が出てくるのも無理はありませんね。

法廷の宗教戦争へ…

一方で、新興宗教団体や信者の側からすれば、不信心な人たちが自分たちの宗教活動を邪魔しているように感じるでしょう。

そして、社会と摩擦を起こしたときに自分たちの信じる宗教を擁護するためには、

争いを避けるべきではない、と考える教団もあり、

この争いは、暴動や集団自殺という形で爆発することも考えられます

例えば、オウム真理教の「戦争」もこのようなものと考えることができますね。

しかしながら、現代の日本においてはある程度の法治主義が確立しているので、

紛争は暴力によってではなく、法律上の争い、すなわち法廷闘争という形で戦われることが多くなりました。

いわば、法廷の宗教戦争いってもいいでしょうかね。

そしてこれは、多くの場合、憲法の「信教の自由」をめぐる問題として争われます。

なので、ここからは信教の自由がどんなものかを、簡単にですが見ておくことにしましょう。

信教の自由とはどんなものなのか?

信教の自由について考えてみる

憲法20条の内容と国教について

日本国憲法で、広く「信教の自由」といわれる20条は、

「今回のテーマに関する日本国憲法」をよく見ると分かると思いますが、けっこう複雑な条文ですよね。

なのでまずは、手始めに憲法20条について、以下のように内容から大きく2つに分けてみました。

  1. 個人やその集団(団体)の信教の自由を保障する規定
  2. 信教に対するもっとも大きな脅威である国教を否認する規定 

そして信教の自由が、このような2段構えの保障になっているのは、歴史的な理由によります。

ある時代には、宗教が非常に強力で、国を支配することもありましたし、

世俗の権力である国が強く、宗教を政治に利用した時代もありました。

とにかくいずれの場合にも、宗教と国は密接に関係していたのです。

さらにそこでは、国教という制度があるのが普通でした

すなわち、特定の宗教や宗派が国と結びついて、政治権力を与えられたり、優遇されたりしていたというわけです。

宗教と国は分けた方がいい理由

ところが、ヨーロッパでの宗教戦争や紛争の悲惨な経験から、

国教といった制度は国民を幸福しないのではないか、と考えるようになりました。

その結果、宗教は個人の自由に任せ、国と宗教とを分けるのが望ましい、とされるようになったのです。

このような考え方が憲法条文に反映されるようになり、日本国憲法も「信教の自由」として、

  1. 個人やその集団(団体)の信教の自由を保障する規定
  2. 信教に対するもっとも大きな脅威である国教を否認する規定 

といった2つの部分を内容としているのです。

まとめ~国が宗教に関与しないのが信教の自由!

いかがだったでしょうか。

今日は「最後のまとめ」がありませんが、結構ボリュームのある内容だったと思います。

家族や友人と信教の自由について話し合いましょう!

ここまで、お付き合いしてくれた方は少しでも「信教の自由Ⅰ~国と宗教は分けるべきなのか」

ということについてちょっとは意識してくれたんじゃないでしょうか。

まずは、とにかくいろんなことを知ることから始まります。

いろんな情報を踏まえたうえで自分のなりの意見を持ってもらったらいいですね!

そしてまた、こういう議題で友達や家族とディスカッションしてみるのも面白そうですね。

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それでは最後まで見ていただきありがとうございました。

それでは、またいつかお会いしましょう。けいタン
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