表現の自由Ⅱ~裁判所と性表現・道徳~178(憲法⑪)

憲法

こんにちは、けいタンです。

日本国憲法(憲法)について話していきます。

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今回取り上げるテーマは?

今日のテーマは、前回に引き続き「表現の自由」について、

「表現の自由Ⅱ~裁判所と性表現・道徳」というものになります。

過去の性に関する事件と裁判所が出した判決から性表現をはじめとした表現の自由の在り方について、

日本国憲法の観点から、考えていくことにしましょう!

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今回のテーマに関する日本国憲法

第21条1項:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第21条2項:検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

※参考 日本国憲法条文一覧リンク 日本国憲法|条文|法令リード (hourei.net)

復習~ポルノについて

ここでは、前回の大まかな内容の復習をします。

ポルノがどのような扱いをされていたか、しっかりと確認してから今回の投稿記事を見てください。

前回の内容がどんなものだったのか確認しよう!

性表現と表現の自由

前回は「表現の自由」という人権のなかでも一番大事だとされる人権の行使として、

性表現はどこまで許されるか、という問題について考えてました。

例えば、芸術作品についてそれが「わいせつか芸術か」…それともただの「人間としての当たり前」なのか…と判断する基準は何なのでしょうか?

仮に規制を設けて、それを超えた場合に、簡単に処罰されてしまうと、

芸術の大きな特徴の1つである、表現で常識を突き破ることができなくなってしまいかねません

したがって、わいせつ表現規制・ポルノ規制も表現の自由にとっては一大事なのです。

重要な人権である表現の自由

表現の自由は日本国憲法の保障する人権のなかでも、とりわけ重要度の高いものといわれていますが、

その理由として考えられるのは次の3点です。

  1. 人間はコミュニケーションしたいという本性(人格的欲求)をもっているから、表現の自由をむやみに規制すると、この本性を否定することになってしまいます。
  2. 多様な意見が自由に発表され、人々がそれらを自由に批判したり反論したりする場が保障されて、はじめて人間社会が進歩し真理に近づいていくことができるのです。
  3. 民主主義と表現の自由は不可分一体なので、憲法が民主主義という政治体制を掲げるからには、表現の自由を保障するのは当然のことで、民主主義が本物の民主主義といえるためには、とくに少数意見の発表の自由が必要不可欠なのです。

民主主義と少数意見

民主主義とは、たえず少数意見にも多数意見となるチャンスを確保している政治体制のことです。

表現の自由は、法律という多数派の意思によって、自分に都合よく制約されてはならないということになります。

人格的欲求とポルノ

「ポルノ=悪」という考え方は少しばかりナンセンス

先ほどの表現の自由が重要度の高いものだと考える理由の中で、1の人格的欲求という点については、

たしかに芸術表現なら人格的欲求のあらわれといえます。

ポルノも芸術と重なってはくるのですが、AVやヘアヌード写真などは、

「○○は□□である!」というような主張ではなく、ただの(誇張された)事実そのものにすぎないようです。

思想の自由市場とポルノ

次に2の考え方については、ポルノ表現そのものは「正しい」とか「間違っている」とかいうレベルの代物ではありませんね。

おそらく、ポルノは人間文明が発生したときからあったのでしょうが、

何万年も同じ内容を繰り返しているだけで、進歩も退歩もないのではないでしょうか。

民主主義とポルノ

3の民主主義とのつながりについては、ポルノと民主主義を結びつけるのはやはり難しいです。

だいたい民主主義と結びつく言論なら、大勢が集まってああだこうだと議論するという性質のもののはずですよね。

これに対して、ポルノはどちらかというと「ひとりでこっそり」というものなのです。

このように、表現の自由が大事だという理由のひとつひとつにポルノはうまくあてはまってこないのです。

そこで、そもそもポルノなどは憲法が保障している表現の自由の対象に含まれないのだ、という考え方も生まれてきます。

そうなると、なにが「ポルノ」かが問題となるだけで、

ポルノをどの程度、どこまでなら表現の自由によって保護すべきか、という議論は必要ないことになります。

学説におけるポルノの立ち位置

しかしながら学説では、「そもそもポルノは表現の自由の対象にならない」という考え方を拒否してきました。

なぜなら、なにが「ポルノ」かの定義自体が大変難しいうえに、

逆に立法者や裁判官の一方的な定義づけで、ポルノと境界線があいまいな芸術表現までもが

表現の自由の保護を受けられないことにもなりかねないからです。

そこで、ポルノといえども、一応表現の自由の保障の対象だと考えたほうがよいことになりますね。

そのうえで、ポルノ規制が表現の自由に対する許された制約といえるかどうかを議論すべきなのです

以上が長くなりましたが、前回の内容の簡単なまとめ・復習になります。

では、ここからがメインである「」について考えていきましょう!

性表現に過敏な最高裁

最高裁判所はどんな判決を下しているのだろうか。

とあるクイズから分かること

それでは、実際の事件で裁判所はいずれもどのような判断をしてきたでしょうか?

唐突ですがみなさん、次のクイズに答えてみてください。

第1問:D・H・ロレンス、マルキ・ド・サド、永井荷風はいずれも有名な作家だが、どんな作品を残しているか?
第2問: 伊藤整、渋澤龍彦、野坂昭如の共通点を挙げよ?

いきなり、このようなクイズを出されても何と答えていいか分かりませんよね(笑)

まあ、クイズに全然答えられなかったにしても、答えは下に記載しておきます。

第1問の答え:順に『チャタレイ夫人の恋人』、『悪徳の栄え』、『四畳半襖の下張り』。ただしここに挙げたのは私が主観的に選んだもので、他の作品でももちろん正解です。
第2問の答え:それぞれ第1問の答えで挙げた作品を翻訳したり紹介したことによって、わいせつ文書頒布罪に問われ、憲法の主要判例に名を残している(いずれも有罪判決が確定している)

チャレタイ事件とわいせつ文書

チャタレイ事件という事件が過去にあったのですが、このときの最高裁判所大法廷判決では、

刑法175条の「わいせつ文書」の定義として、

1:むやみに性欲を刺激し、2:普通人の正常な羞恥心を害し、3:善良な性的道義観念に反するものをいう、とされました。

そして、1と2については実際に人々がどう感じるかではなく、あるべき社会常識を代表する裁判官が判断するといっています。

この判決は、裁判所は「社会を道徳的頽廃から守らなければならない」とか、「臨床医的役割を演じなければならぬ」といっています。

しかし、よくよく考えると、その相手は書物…たかが活字なのです

みなさんはこの判決にどう思いますか?活字にまで「わいせつ」を認めますか?

裁判所に道徳の番ができるのか?

道徳とは何だろう?正しいとは何だろう?

チャレタイ事件の判決から考える”道徳”

チャタレイ判決が打ち出した基準は決して明確とはいえないし、

この判決が、「わいせつ文書頒布罪の立法目的は最小限度の性道徳を維持することである」といっていることにも引っかかりますね。

まあ仮に、道徳に反するのはよくないことだとしても、道徳自体がその時代の多数人の常識といったものなので、法で強制するべきものではありませんよね

すなわち法律が、多数派が少数派をいじめる手段にされてはならないのです。

全体的考察法と相対的わいせつ概念

その後、チャタレイ事件と別の「悪徳の栄え」事件での最高裁判所大法廷判決は、わいせつ性の有無を作品全体のなかでとらえるという「全体的考察方法」をとり、

「四畳半襖の下張り」事件の最高裁判所判決はさらに一歩進めて、芸術性が高ければわいせつ性が弱まるといった「相対的わいせつ概念」をとったのです。

しかしながら、道徳を守るために表現の自由を制約していいのかという基本的問題点については、判例は相変わらず何も答えていないのです

ということで、ヘアヌード写真の写真家や出版社が「わいせつ」について起訴されていないのは、

警察が「わいせつ」の判断基準を大幅にゆるめたからであって、道徳の問題から法律が手を引いていたわけではないのです

わいせつ文書頒布罪でポルノ表現を取り締まるのはOK?NG?

難しい問題なので結論を出すことまでは求めませんが、とにかく考えることは大切でしょう!

私が思う「わいせつとポルノ表現」

このことについて皆さんがどう思うかは、当然ながら自由です。逆に言えば、このような性表現だったり表現の自由に関して、もっと議論すべきなのです。

私はこの「憲法」の投稿記事を挙げるにあたって、そのような意図を含ませています。ではせっかくなので、ここでは私の意見を少し聞いてください。

わいせつ文書頒布罪でポルノ表現を取り締まるのは、道徳上の理由によって人権を制約するもので許されないと考えます。

しかし、ビデオや写真などといったモデルがいる場合には、大人の女性(ないしは男性)が自分の自由意思で被写体になっている場合でないといけませんね

つまり、自己決定能力に乏しい子どもが親や業者に強制されたりだまされて、売春や児童ポルノに出演させられている例は残念なことにたくさんありますが、もっと衝撃的なことにインターネットの児童ポルノ画像の多くは日本から発信されているそうです。

児童買春・児童ポル処罰法と改正

そこで1999年5月、児童買春・児童ポル処罰法が成立され(2014年6月改正)、この法律によって18歳未満の児童を被写体とする児童ポルノの販売等を行った者には最高で懲役3年の刑が科せられます

また、2014年の改正により「自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者」は1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処することとされました。

この法律は当初「児童ポルノ」を「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」などと定義していましたが、

これは表現の自由の規制立法として必要な明確さを備えていないのではないか、といった批判があったことなどにより、2014年の改正時に

「衣服の全部または一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位が露出されまたは協調されているものであり、かつ性欲を興奮させ又は刺激するもの」

という定義に変更されているのです。

まとめ~表現の自由とポルノ表現のあり方について考えよう!

いかがだったでしょうか。

今回の内容前回の内容と同じく結構、難しかったかと思います(笑)。

でもそれと同時に、いろいろと「ポルノ・表現の自由」について考えさせられる内容だったかと思います。

家族や友人と表現の自由について話し合いましょう!

ここまで、お付き合いしてくれた方は少しでも「表現の自由Ⅱ~裁判所と性表現・道徳」

ということについてちょっとは意識してくれたんじゃないでしょうか。

まずは、とにかくいろんなことを知ることから始まります。

いろんな情報を踏まえたうえで自分のなりの意見を持ってもらったらいいですね!

そしてまた、こういう議題で友達や家族とディスカッションしてみるのも面白そうですね。

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最後まで見ていただきありがとうございました。

それでは、また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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