日本史~三つ巴の東アジア情勢~098(歴史⑬)

歴史(日本史)

こんにちは、けいタンです。

今回は日本史のことについて話していきます。

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今回のテーマについて

今回取り上げるテーマは、古墳時代の次である飛鳥時代の外交について

「日本・中国・朝鮮半島の三つ巴東アジア情勢」という内容について見ていくことにしましょう。

というものこの飛鳥時代ではすでに、倭国(日本)は朝鮮半島に進出していました

そんな「日本と朝鮮半島、そして中国との3か国の関係性」について眺めていくとしましょう。

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今回のテーマに対する結論

まずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。

日本と朝鮮半島および中国との3か国の関係性について、

中国や朝鮮半島との関係性は、日本国内の情勢や政治の姿勢によって大きく変化しました

では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。

朝鮮半島に進出していた倭国

倭国と朝鮮半島の関係性について

朝鮮半島の4つの国々

4世紀半ば、朝鮮半島では百済(くだら)・新羅(しらぎ)・高句麗(こうくり)といった

三国による分立の時代を迎えていました。

またそれに加えて、朝鮮半島最南端には伽耶(かや)と呼ばれた連合国家があり、

ヤマト政権(倭国=日本)は、この伽耶と積極的に交流していたため、

ヤマト政権は朝鮮半島情勢に大きな影響を及ぼしていたといえるでしょう。

※ちなみに伽耶については、加羅(から)・任那(みまな)と呼ぶ場合もあります。

碑文から分かること

さらに、高句麗の19代好太王の業績をたたえるために立てられた

「高句麗好太王碑文」には、倭国がその当時頻繁に、百済や新羅に侵攻していたことや

高句麗が新羅からの要請にこたえて出兵し、倭国の軍隊を退却させたことなどが記されています。

なんかこういうところが面白くないですか!

「倭国が百済や新羅に侵攻していて、高句麗が新羅からの要請にこたえて倭国の軍隊を退却させる」

という内容にも驚きですが、そのような内容の石碑が数千年たった現在でも確認されていることに

なおのその、驚きを感じますね…。

したがって、このようなこと(高句麗好太王碑文の内容)からも、

倭国が朝鮮半島に進出していたことは間違いなさそうですね!

対等外交の始まり

朝貢と対等外交について

権益と対立の外交

5世紀になると、中国の南朝(宋:そう)に対して、

倭の五王(讃・珍・済・興・武)が朝貢を続けていました

というものこの朝貢は、宋の冊封体制(保護下)に組み込まれることで、

朝鮮半島で得た権益を守るのが狙いだったのです。

また宋のほうから考えても、対立する高句麗をけん制するためには、

倭国をないがしろにできないという事情があったのです。

なんかこういうところが面白くないですか!(2回目)

対高句麗外交を円滑に進めたい中国

ところが、推古天皇の時代になって大王(天皇)中心の国家体制が確立すると、

中国の冊封体制(保護下)からの脱離をもくろみ、

大王(天皇)を「天子(=君主)」と冠した国書を隋の煬帝(ようだい)に送りました。

煬帝にとっては、天子は自分、煬帝だけだと怒ります。

ですが、対高句麗外交を円滑に進めるために倭国を許し、

対等外交を受け入れたのです。

まとめ~現代のような権益の外交関係がすでにあった!

いかがだったでしょうか。

それでは今回のまとめを行っていきます。

確認しておくべき三つ巴東アジア情勢に関する6つのこと

  • 4世紀半ば、朝鮮半島では百済・新羅・高句麗の三国による分立の時代を迎えていた。
  • ヤマト政権(倭国)は、伽耶と積極的に交流していた。
  • 高句麗好太王碑文には、倭国が百済や新羅に侵攻していたことや、高句麗が出兵し倭国の軍隊を退却させたことが記されている。
  • 以上のことから、倭国は朝鮮半島に進出していたことが分かる。
  • そして5世紀になると、中国の南朝(宋)に対して、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が朝貢を続けていた→朝鮮半島で得た権益を守るのが狙い
  • 対高句麗外交を円滑に進めるために、中国は倭国との対等外交を受け入れた。

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

では、またお会いしましょう。けいタン
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