こんにちは、けいタンです。
今回は日本史について話していきます。
今回のテーマについて
今回取り上げるテーマは縄文時代の次である弥生時代について
「稲作で変わる弥生時代」ということを説明しようと思います。
稲作については、多くの方が知っていることと思います。
そして、この稲作というのは弥生時代に伝来された代表的なものの1つです。
後の結論のところでも言いますが、この稲作の伝来時期の繰り上げで弥生時代は大きく変わっていきました。
何をいっているのかわからない方もいるかもしれませんが、
何はともあれまずは、テーマの結論から見て、学びを深めていくことにしましょう。
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今回のテーマに対する結論
では、話の結論をしていきましょう。
弥生時代と稲作の伝来時期についてですが、
弥生時代と稲作の開始時期は、最新の研究によって紀元前10世紀までさかのぼる可能性がある
ということが分かりました!
では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。
稲作開始が100年早まる!
弥生時代の大きな特徴
弥生時代の大きな特徴は大きく分けると、
「稲作の開始」「弥生土器の使用」「金属器の使用」「身分差の発生」の4つがあります。
そして、紀元前4世紀ごろに弥生土器の制作が始まり、
同じ時期に大陸から九州に稲作が伝わったことにより、
日本は少しずつ縄文時代から弥生時代へ移行していったと考えられています。
遺跡から分かる稲作の開始時期
しかし、1970~80年代にもなると、
福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡から縄文時代晩期の水田跡が発見されました。
このことから、稲作の開始時期が従来よりも100年ほど早いことが判明したのです!
ということで、「弥生時代の始まりは稲作の開始時期と同時」とされることもあり、
「弥生時代の始まりは紀元前5世紀である」という説も有力になりました。
おまけ~本当の弥生時代の始まりとは?
先ほど、「弥生時代の始まりは紀元前5世紀である」という説が有力になった
といいましたね。
ちなみにですが、日本に稲作を伝えたとされる朝鮮半島では、
紀元前10世紀ごろには稲作が伝来していたと考えられています。
なので、タイムラグ(時差)が生じることになります。
国立歴史民俗博物館は、各地で出土した遺跡を「放射性炭素年代測定法」という手法で
分析しているのですが、2003年に「弥生時代の始まりは紀元前10世紀」とする結果を発表しました。
なので、この説がもし正しかったら、さっきのタイムラグはなくなりますが、
この研究結果についてはさまざまな意見があり、定説化するかどうかはまだ不透明のままなのです。
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共同体の規模の大きさ
共同体の大きさと稲作文化
九州から全国に広がった稲作の文化は、何となく予想がつくかもしれませんが、
それまでに形成されていた人々の生活を一変させました。
また、水田耕作には多くの人出を要することから、共同体は必然的に巨大化していきました。
貧富の差の拡大
さらに、生産物の貯蓄(高床式倉庫などによる)が可能になったので、
富の貯蓄ができ始め、貧富の差や身分の差が発生していきました。
そのようにして、強力な首長に率いられた原始的な国家(クニ)というものが誕生したのです!
そしてこれも、稲作を中心とする弥生時代の大きな特徴の1つなのです。
縄文人と弥生人の違い
そもそも縄文人と弥生人については、人種的にも系統が異なると考えられています。
縄文人は、東南アジアを起源とする「古モンゴロイド」だといわれています。
ですが一方で、弥生人は大陸の北部が起源で寒冷地に強い「新モンゴロイド」であるとされています。
すなわち、縄文人と弥生人では、その種の起源についても特徴についても
大きな違いがあるということなのです。
まとめ~稲作は弥生時代に大きな影響を与えた!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき稲作と弥生時代に関する5つのこと
- 弥生時代の大きな特徴は「稲作の開始」「弥生土器の使用」「金属器の使用」「身分差の発生」の4つである。
- 紀元前4世紀ごろに弥生土器の制作が始まり、同じ時期に大陸から九州に稲作が伝わったことにより、日本は少しずつ縄文時代から弥生時代へ移行していった。
- 福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡から縄文時代晩期の水田跡が発見され、稲作の開始時期が従来よりも100年ほど早いことが判明した。
- 稲作文化はそれまでに形成されていた人々の生活を一変させ、共同体は巨大化していった。
- 富の貯蓄ができ始め、貧富の差や身分の差が発生していき、強力な首長に率いられた原始的な国家(クニ)というものが誕生した。
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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