こんにちは、けいタンです。
今回は10回目となる日本史のことについて話していきます。
今回のテーマについて
今回取り上げるテーマは弥生時代の
「巫女と邪馬台国」というものです。
巫女とは簡単に言えば、神様の言葉を聞いて理解できる人のことですが、
そんな巫女が支配していたとされる邪馬台国について考えていきましょう。
ということでまずは、今回のテーマの結論から見て学びを深めていくことにしましょう。
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今回のテーマに対する結論
では早速ですが、話の結論からしていきます。
まず巫女が邪馬台国を支配していたとされる大きな理由は、
豊作を祈る祭礼が重要視されたためです。
また邪馬台国の存在していた場所については、
畿内説と九州説の2つの可能性があります。
では、このことについて次の項目から詳しく見ていくことにしましょう。
なぜ巫女が王になったのか?
天候に生活が左右された弥生時代
弥生時代に始まった農耕生活は、人々の宗教観にも影響を及ぼしたとされています。
というのも、人々の生活に必要な農耕(米作り)が天候に左右されるため、
自然神への信仰が強まり、豊作を祈る祭礼が重要視されたのです。
そのため、神様の意思を聞くことができる巫女などのシャーマンの地位が必然的に高まりました。
魏志倭人伝と卑弥呼
では弥生時代について、もう少し詳しく見てみることにしていきましょう。
弥生時代に日本に分立し始めた小国家の王の中には、
中国の王朝に貢ぎ物を贈る者もいたそうです。
三国時代の魏(ぎ)について伝える「魏志(魏書)」には、
2~3世紀の日本の様子を伝える記述があります。(「魏志倭人伝」のことですね)
そこに記述された内容として、邪馬台国の女王である卑弥呼は、
まじないをして神様の言葉を告げる、といったシャーマン的な支配者であったとされています。
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邪馬台国と2つの説
様々な解釈がある邪馬台国の場所
先ほど簡単に紹介した「魏志倭人伝」についてさらに見てみると、
帯方郡(たいほうぐん:朝鮮半島中西部)から邪馬台国への行程にはさまざまな解釈があり、
邪馬台国の場所をめぐる議論については、今でもなお続いています。
そして現在での、邪馬台国の場所として有力なのは畿内説と九州説の2つです。
畿内説の大きな要因
畿内説については、奈良県の纏向遺跡(まきむく)が有力な根拠とされています。
広大な纏向遺跡の全容については、いまだに明らかではないのですが、
卑弥呼と同じ3世紀前半の巨大建築の遺構が畿内説にはあります。
そして、遺跡内の箸墓古墳(はしはか)を卑弥呼のお墓だとする説もあるそうです。
九州説の大きな要因
一方、九州説の大きなよりどころは、やっぱり何といっても
佐賀県にある吉野ケ里遺跡でしょう。
この吉野ケ里遺跡自体は、3世紀の邪馬台国よりも少し古い1~2世紀のものですが、
九州に弥生時代の巨大集落があったことの大きな裏付けといえることが、
邪馬台国が九州にあるという九州説の大きな要因でしょう。
まとめ~邪馬台国は畿内説と九州説の2つが有力!
いかがだったでしょうか。
それでは今回のまとめを行っていきます。
確認しておくべき巫女と邪馬台国に関する5つのこと
- 弥生時代では、生活に欠かせない農耕(米作り)が天候に左右されたため、自然神への信仰が強まり、豊作を祈る祭礼が重要視された。
- そのため、神様の意思を聞くことができる巫女などのシャーマンの地位が高まった。
- 邪馬台国の女王である卑弥呼は、まじないをして神様の言葉を告げる、といったシャーマン的な支配者であったとされている。
- 現在での、邪馬台国の場所として有力なのは畿内説と九州説の2つである。
- 畿内説は、奈良県の纏向遺跡が有力な根拠とされており、九州説の大きなよりどころは佐賀県にある吉野ケ里遺跡である。
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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう。けいタン
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