近代日本の歴史 第13講~米国の日系移民排斥と反米感情(part2)~199(集中講義⑬)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

少し前から大学の集中講義のように連続して「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

第2,3講義は、ヴェルサイユ会議と日本について、第4講はヴェルサイユ条約の内容がいかに日本社会に影響を与えたのかについて、第5講は日米両軍による戦争計画について、

第6講は米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起について、第7講はワシントン会議での対立と合意について、第8講は米国がなぜ「門戸開放」にこだわったのかについて、

第9講はワシントン会議に対する日本社会の対応について、第10講は日本における軍部権限抑制論の台頭について、第11講はワシントン条約に対する日本軍部の反応について、第12講は、米国の日系移民排斥と反米感情の噴出ということで1924年の移民法の成立(part1)について触れていきました。

そして今回第13講では、前回の続きとして1924年の移民法の成立(part2)に関して考えていきましょう!

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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歴史のあるときでは、アジア人は差別・奴隷として扱われたのです

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米国の日系移民排斥と反米感情の噴出…1924年移民法の成立(part2)

エンジェル島に上陸した日本人「写真花嫁」

米国西海岸での排斥法の制定

サンフランシスコ市・郡・学務局では、1906年にアジア系学童という東洋人学校に隔離する命令が下され、同年にサンフランシスコ大地震が起こり、在サンフランシスコ日本領事館や在米日本人連合協議会は差別として抗議しました。このような児童隔離問題は、日米政府間の重大問題に浮上したのです。

また、セオドア・ローズベルト大統領は、ハワイ・メキシコ・カナダを経由し、米国に入国する日系移民の入国を全面禁止することにしました。学童隔離令も撤回しました。

これに対して、日本政府は米国への労働移民を自主規制し、1908年に紳士協定が成立しました。ちなみに、紳士協定とは、正式な手続きは踏まないが、互いに相手を信頼して結ぶ取り決めのことをいいます。

さらには、日系男性との結婚を目的として女性移民の増加が起こりました。これが、上の写真に該当する「写真花嫁」です。これは、日系人の定住化促進につながるとして、米国内の反発を受けました。カルフォルニア州議会は、1913年に外国人土地法として日系人の農地所有を禁じました。

移民問題については、現在の日本の問題の1つでもありますね。今の総理大臣が「中国人留学生は日本の宝」というような愛国心欠如のかたまりのような発言をしていますが、このまま中国を主とする移民を大量に受け入れてしまったら、日本という国がなくなってしまうかもですね…。

1924年移民法と東南欧系移民差別と日系移民

米国の連邦最高裁判所は、日系移民一世は「帰化不能外国人」と認定(帰化権の否定)し、米国に帰化(市民権の取得)できるとしていました。白人については1790年に帰化法が、黒人(南北戦争…つまり、アフリカからの移民)は修正された憲法14条によって認められていましたが、アジア系は除外されていました。

その後、米国連邦議会は移民法を定め、「帰化不能外国人」の新たな移民を禁止しました。すなわち、アジア系一般の新たな移民を禁じたのです。

この移民法から分かることの1つは、米国最大の関心が日系移民ではなく、日系人の新たな流入を禁止するところにあります。言い換えると、主要な制限対象は南欧・東欧からの「新移民」であったのです。(出身国別割当制)

さらに1924年移民法について見ていくと、これは日系移民・南欧系移民・東欧系移民に対して差別的なものだったといえます。当時のケネディ大統領は1965年に移民法改正し、出身国別割当制の廃止しました。そして、その際の基準は、家族の一員が米国にいるかどうか、技術をもっているかどうかでした。

移民法は1924年に連邦議会に提出され、これに対して、日本政府はもちろんながら反発しました。なぜなら、日本側の自主規制によって、日本からの労働移民は減少しているにもかかわらず、連邦法での規制が日本側の自主努力を無視する行為だったからです。

よって、ヒューズ国務長官は法案の修正を求め、直原正直駐米日本大使はヒューズ国務長官に対して、書簡で「移民法の成立は重大なる結果を及ぼすだろう(=移民法を可決するな)」といっています。結局、1924年に可決され、クーリッジ大統領の署名によってその3か月後に移民法は発効されました。

まとめ~移民法に関する問題は現代にも通ずるものである!

今回の内容はいかがだったでしょうか。

少しでも1924年の移民法に関して知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まる)

次回は、米国移民法に対する日本社会の反発について解説していきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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参考文献:「避けられた戦争(油井大三郎)」

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