近代日本の歴史 第22講~第一次幣原外交と中国の国権回復運動(part2)~208(集中講義㉒)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

少し前から大学の集中講義のように連続して「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

第2,3講義は、ヴェルサイユ会議と日本について、第4講はヴェルサイユ条約の内容がいかに日本社会に影響を与えたのかについて、第5講は日米両軍による戦争計画について、

第6講は米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起について、第7講はワシントン会議での対立と合意について、第8講は米国がなぜ「門戸開放」にこだわったのかについて、

第9講はワシントン会議に対する日本社会の対応について、第10講は日本における軍部権限抑制論の台頭について、第11講はワシントン条約に対する日本軍部の反応について、

第12,13講は米国の日系移民排斥と反米感情の噴出で1924年の移民法の成立について、第14,15講は1924年の米国移民法に対する日本社会の反発について、

第16講は国際協調派の苦悩について、第17,18講は中国の政権分立と国権回復運動の始まりについて、第19,20講は英米の帝国縮小戦略への転換について、第21講は第一次幣原外交と中国の国権回復運動(part1)について触れていきました。

そして今回第22講では、前回の続き(part2)に関して考えていきましょう!

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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・合わせて読むべき前回の関連記事:近代日本の歴史 第21講~第一次幣原外交と中国の国権回復運動(part1)
↑対中国不干渉の幣原喜重郎の協調外交は陸軍にとっては嬉しくなかった。その結果、陸軍が勝手な行動に出る二重外交が誕生してしまった…

人間関係を構築するのが難しいように外交はとっても難しいんだよ…

・合わせて読むべき関連記事:近代日本の歴史 第16講~国際協調派の苦悩
↑民族派が台頭していた時期の国際派は苦悩を抱いていた。また、同時に米国移民法に関しても日本の世論や米国でも多少なりとも動きがあったようだ

・合わせて読むべき関連記事:近代日本の歴史 第14講~米国移民法に対する日本社会の反発(part1)
↑米国の移民法は当時の日本に大きな影響を与えた。多くの民族派の人物が反米感情をあらわにするが、本当に米国と戦争をして勝つ自信はあるのだろうか?

第一次幣原外交と中国の国権回復運動(part2)

北京特別関税会議と日本

代表団の事務長であった佐分利貞男通商局長(幣原の側近)は中国の関税自主権の回復について1929年1月から合意し、関税自主権の回復を承認しました。(中国国内の住民税を廃止することを条件に)

ところが、暫定措置については意見が対立しました。中国側は2.5%附加税の即時実施を要求し、英米も妥協の姿勢を取っていましたが、日本は日本提案の7品目に税率を区分する案の障害になるとして拒否しました。

また、中国税収の使途が西原借款の返済であるという点で米英との対立も生じていきました。最終的に、段祺瑞政権は倒壊し、具体的な成果は無しという残念な結果になりました。

南京事件と幣原の不干渉政策

国民革命軍は1926年7月から北伐を開始し、それは第一次若槻礼次郎內閣の時で幣原喜重郎が外相を務めていました。そして幣原は、対中国不干渉政策の継続のスタンスでした。

南京事件が起こったのは、1927年3月のことで英国政府は、日本に共同出兵の提案をしましたが、幣原外相は不干渉政策を貫いたため、日本国内で幣原外交は「軟弱外交」と非難されました。

武力不介入の意図

南京事件後に国民革命軍は上海に接近し、共同租界では避難する外国人が殺到しました。まあ、当然のことですよね。英国は共同出兵を日本に再度要請しましたが、幣原外相は同調しませんでした。

この不出兵の意図を考えてみると、北伐中に発生する暴行・略奪の根本原因は中国の主権が侵害されている現状(不平等条約・外国租界)にあって、その原因を放置してただただ武力介入をするのは逆効果だと考えたためです。

また、北伐時の暴行・略奪は共産勢力による「反帝国主義闘争」の側面があり、蒋介石(反共の立場)への配慮から武力介入を自重した面もありました。

不干渉政策と第一次若槻内閣の崩壊

幣原は一貫して中国の内政不干渉政策を取っていました。確かに、中国の主権尊重原則(ワシントン会議)と在外自国民の保護が本国政府の基本的な義務というジレンマがある中で、不用意に干渉するのは逆効果な気もしてきますね。

英米は南京事件が起こったのちに、居留民の生活保護のために軍事介入しました。一方で、幣原は英米両政府からの共同出兵提案を拒否し、英米協調外交に矛盾を抱きました。

これに日本国内では野党の政友会が幣原の軟弱外交を非難し、軍部との間の溝について触れました。実際に陸軍は、中国国民政府へのソ連・中国共産党の影響が拡大しており、危惧すべき現状でした。

しかも英米とともに軍事介入しているということは、列強側は共産勢力の勢力拡大を阻止するために動いており、それは幣原の対中不干渉政策とは根本的に対立していました。

結局、第一次若槻内閣は枢密院が台湾銀行(=日本銀行;鈴木商店の破綻)への救済策を否決したため内閣は1927年4月に崩壊しました。

ちなみに、この台湾銀行の問題は1923年の関東大震災による金融恐慌によるものだと考えられています。

第一次幣原外交の功罪

では、最後に幣原外交の功罪について見て今回の内容はおしまいにします。

中国の主権尊重の姿勢は一貫して、米英との協調を重視(ただし対中国不干渉)し、中国の不平等条約の解消や中国の日貨ボイコットの鎮静化の可能性は十分にあったと考えることができます。

しかし、軟弱外交として国内では非難の対象になっていました。これについては、在中邦人の保護のために英米と一時的な共同派兵をする必要があったのではないかと考えます。

といっても、幣原外交は国内政治への配慮に欠ける面があり、北伐期の中国政策でも欠陥が露呈した点は罪の部分にあたるでしょう。

まとめ~国内と世界のバランスを取れる外交が大事!

今回の内容はいかがだったでしょうか。

少しでも第一次幣原外交と中国の国権回復運動に関して知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まる)

次回は、中国の国民革命と日本社会の反応について解説していきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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↑対中国不干渉の幣原喜重郎の協調外交は陸軍にとっては嬉しくなかった。その結果、陸軍が勝手な行動に出る二重外交が誕生してしまった…

参考文献:「避けられた戦争(油井大三郎)」

・合わせて読むべき関連記事:近代日本の歴史 第16講~国際協調派の苦悩
↑民族派が台頭していた時期の国際派は苦悩を抱いていた。また、同時に米国移民法に関しても日本の世論や米国でも多少なりとも動きがあったようだ

・合わせて読むべき関連記事:近代日本の歴史 第14講~米国移民法に対する日本社会の反発(part1)
↑米国の移民法は当時の日本に大きな影響を与えた。多くの民族派の人物が反米感情をあらわにするが、本当に米国と戦争をして勝つ自信はあるのだろうか?


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