近代日本の歴史 第7講~ワシントン会議での対立と合意~193(集中講義➆)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

少し前から大学の集中講義のように連続して「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

第2,3講義は、ヴェルサイユ会議と日本について、第4講はヴェルサイユ条約の内容がいかに日本社会に影響を与えたのかについて、第5講は日米両軍による戦争計画について、第6講は米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起について見ていきました。

今回第7講では、ワシントン会議での対立と合意について解説していきます!

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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ワシントン会議での対立と合意

そう簡単に物事は進まない…各国の思惑が衝突する!

海軍軍縮問題

前回にも言いましたが、原敬内閣はワシントン会議への参加を決定していました。新しい内容はここからで、首席全権は加藤友三郎海相が、全権は幣原喜重郎駐米大使や徳川家達貴族院議長らでした。

しかし、多くの方が知っているように原首相は1921年11月に東京駅で暴漢に襲われ、そのまま死去してしまいました。歴史は皮肉にも同じことを繰り返します。確か、現代でも元首相が選挙演説中に襲われ、そのまま死去した事件がありましたね…本当に歴史は同じことを繰り返すのです。あなたはそのことを教訓として、歴史をはじめ、これからの社会を眺めていきましょう。

では話をもとに戻していきます。次に大きな問題となったのが、シベリア撤兵問題でした。幣原喜重郎駐米大使は早期撤退の表明をしていましたが、会議の争点になりませんでした。

これから幣原喜重郎が登場することが多くなりますが、「幣原喜重郎=協調外交・武力を用いない考え」と思ってくれたら、話が早く分かりやすくなります。

シベリア撤兵問題については、日本軍は1922年10月にシベリアからの撤兵をしました。

また、ヒューズ国務長官は「米英日の主力艦保有率=10:10:6」を提案しました。この時から、公開外交時代の幕開けといってもいいかもしれませんね。この提案について米国や関係国の世論は歓迎し、加藤海相も原則的な賛成を表明しました。

一方で、海軍は1907年の帝国国防方針による「八八艦隊」構想のためには、対米7割の死守が必要だと考えていました。よって、加藤寛治海軍中将は受諾反対を主張し、加藤海相の逆提案(太平洋に領土をもつ列強は要塞・海軍基地の現状維持を厳守する条件)を米国は承諾したのです。

これがワシントン海軍軍縮五カ国条約の成立につながりました。
(米英日仏伊の主力艦保有率=10:10:6:3.34:3.34)

日英同盟の解消

1902年に結んだ日英同盟は、1911年には第3回の更新(10年の期限)がありました。英国は1921年から1年の延長に対して、米国は日英同盟の解消を願っていたのです。なぜなら、米国は中国で門戸開放を行いたかったからです。(そのときの日本は山東半島の利益を追求していました)

そして、海軍軍拡や中国の門戸開放政策が日本の特殊権益追求(イギリスの支持)と衝突したのです。英国側・カナダは米国との関係を重視し、日英同盟継続反対のスタンスを取っていました。

結局のところ、英国の全権であるアーサー・Jバルフォアは三国同盟案(英米日)を提唱しました。しかし外交というのは非常に難しいもので、米国は「旧外交」的な軍事同盟への参加を拒否したのです。

幣原も「協議条約」への組み換えを提案するものの米国は依然として拒否しました。最終的な条約である「太平洋に関する四国条約」(日米英仏)では、日本は日英同盟の解消に合意しました。ここにも、米国との協調を重視した点やあわや「旧外交」からの転換など、調べていくといろいろな理由がありそうです。

中国における門戸開放原則と既得権益

協議の4原則を提唱したエリュー・ルート

そろそろ中国についても考えていきましょう。中国側の全権が提出した10原則のうち大切な内容をピックアップしました。

「①中国の領土保全、②門戸開放と機会均等、③中国に無断で中国関係条約を締結はできず、④中国で保有する各国の特殊権益でその根拠が非公開のものは無効、⑤中国の行動の自由を制限する政治・司法・行政上の制限の速やかな撤廃などなど…」

また一方で米国の全権であるエリュー・ルートの協議の4原則についても見ていきましょう。

「①中国における主権の独立と領土的行政的保全、②安定政権の樹立、③機会均等主義、④友好国の権利や安全保障を害する行為の自重」

このエリュー・ルートの協議の4原則にヒューズ国務長官は不満を抱き、既得権益の「諮議会」設置案を挙げました。幣原は、既得権益は審議対象に反対しました(英仏伊は同意)。

また、九ヵ国条約の第3条には、「中国における門戸開放・機会均等原則は調印国の条約上の義務」と記されています。これに対し、中国は、統一政府は存在せず、北京政府(条約に調印)以外の条約受容に関しては別問題だと述べました。とにかく中国では、国民政府中心による国権回復運動が起こっており、既得権益は回収対象であると思っていたのです。

山東問題の処理

山東問題については英米の仲介によって、ワシントン会議中に日中二国間交渉が行われました。(英米代表:オブザーバー妥協案、米:ジョン・マクマリー国務省極東部長、英:マイルス・ランプソン前駐中国公使)

15年賦の国庫証券は山東鉄道の財産となり日本に償却(借金などを返すこと)され、償還期間中では運輸主任・会計主任に日本人の任用、そして鉱山経営は日中合弁となったのです。

また、日本は1921年に山東返還条約を調印し、大部分の山東利権を返還しました。当時の山東半島には、紡績の日本企業があり、のちの歴史では、中華民国の国民党軍が北伐をした際に、田中義一内閣が山東出兵するなど山東半島に関する問題や事件はまだまだ続いていくのです。

対華21カ条要求関連条約をめぐる対立

中国は1921年に列強の租借地全体の返還要求しました。これに対する各国の対応を見ていきましょう。

日本は既得権益は適用されないということで検討を拒否し、英国は威海衛の返還、仏は広州湾の返還、満蒙は日本側の主張に同情的であり、米国は「ブライアン・ノート」というものに記述されている趣旨は九カ国条約に反映されているため、中国の要求取り上げない結果となりました。

中国は国権回復運動を進め、日本政府は満蒙の特殊権益の返還を主張する議論が「旧外交」的なやり方の転換だと考え、当時の高橋是清蔵相(大蔵大臣…今でいう財務省大臣)は1920年に「内外国策私見」というものを提出しました。

その内容には、満蒙の事情に固執せず、中国内地の開発、参謀本部・軍令部の廃止などが記されており、翌年1921年の「東亜経済力樹立関スル意見」では、中国駐屯軍の撤廃、山東・満蒙の政策改善による対中提携を進めることなどが記載されています。

まとめ~山東問題や満蒙の利権問題が加速していく!

今回の内容はいかがだったでしょうか。

少しでもワシントン会議での対立と合意に関して知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まる)

次回は、米国と門戸開放について解説していきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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参考文献:「避けられた戦争(油井大三郎)」

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