近代日本の歴史 第2講~ヴェルサイユ会議と日本(part1)~188(集中講義②)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

前回から大学の集中講義のように数十回にわたって「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

そして第2講義は、ヴェルサイユ会議と日本について解説していきます。

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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・合わせて読むべき前回の関連記事:近代日本の歴史 第1講~1920…1940年代の日本を眺める
↑なぜ日本は太平洋戦争という無謀な戦いに臨んだのだろうか?ここでは、数十回にわたって、近代日本の歴史から戦争を避ける方法を考えよう!

ちょっとだけ真面目な話をしてもいいですか?

第一次世界大戦の講和構想をめぐる対抗

第一次世界大戦は従来の戦争と規模の大きさが違っていただとか…

膨大な犠牲を生んだ第一次世界大戦

ここでは、第一次世界大戦がもたらした被害や状況について説明します。

第一次世界大戦は史上初の「総力戦」といわれますが、これはただ人間同士が武器を持って戦うだけではなく、大量の重火器・戦車・大型戦艦・飛行機の投入などが利用された戦争でした。

そして、すべての交戦国は徴兵制を導入していました。…恐ろしい話です。

イギリス(英)・フランス(仏)・ロシア(露)・アメリカ(米)・日本(日)など連合国側では、約4000万人が動員され、その1割強に当たる500万人が戦病死してしまいました。

一方、ドイツ(独)・オーストリア(墺)などの同盟国側は、おおよそ2200万人が動員され、15%340万人が戦病死しました。

しかも、戦争の標的になったのは敵国の兵隊だけではなく、軍需工場や一般市民もターゲットにされていました。当時の民間人の犠牲者は両陣営合計約660万人にのぼるといいます。

このように分かってはいますが、戦争は大きな悲惨な結果を生むのです。今のロの国とウの国の戦争もそんなものです…。

また、このような戦争の長期化によって反戦の声が高まり、反戦運動につながっていきました。

ロシア革命政府の「平和に関する布告」

ここでは、1917年に起こったロシア革命と平和について見ていきます。

1917年のロシア革命には、三月革命と十一月革命があります。

三月革命では、ロマノフ王朝の崩壊が起こり、以後共和制になりました。共和政府は、どちらかというと戦争を避けるのではなく、継続する考え方を持っていました。

十一月革命では、レーニン(ボリシェヴィキ)による革命政府が台頭しました。こちらは、休戦協定の即時締結の呼びかけを行う対交戦政府であり、その講和条件として「無併合・無償金・民族自決(無条件の適用)」を掲げました。

そして英仏などと戦勝の時に、植民地などの分割を約束しました。ここで気を付けておきたいのが、連合国は正義として戦っているのではなく、土地などの物取り目当ての戦争に過ぎなかったということです。

結局のところ、戦争にもビジネス的な経済面の部分があるということになりますね…。

ウィルソン大統領の「14か条」

米国ウィルソン大統領

この人なしでは話を進めることはできません…その人物は「米国政府のウィルソン大統領」です。

ウィルソンは『新外交』という概念を提案した人物であり、後の話にも影響がある人物になります。

そもそも1917年の対独宣戦による戦争の目的とは、「民主主義のために世界を安全にする」というものでした。

その後1918年に「14か条」の講和条約を提唱しました。具体的には、「秘密条約の廃止・公海の自由・軍縮・東欧諸民族の民族自決・植民地問題の公正な解決・国際機関の設立など…」になります。

そして先ほど言ったようにここで、国際機関の設立などによって紛争解決を目指す『新外交』が登場します。

新外交についての細かな内容は後々、紹介します。

ヴェルサイユ講和会議の招集

ヴェルサイユ講和会議に出席する牧野伸顕(右)

第一次世界大戦の終結

ようやく第一次世界大戦が終結すると、ロシア革命政府はドイツと単独講和を行い、1918年にブレスト・リトフスク条約というものを締結しました。

それに対して、米や英などの他の連合国はロシア革命政府へ反発する動きを見せました。すなわち、ロシア革命政府のような社会主義を目指す政権に対して脅威を感じていたのです。

具体的には、英仏は1918年に対ソ干渉戦争が、日米も1918年にシベリア出兵をしましたね。

一方で、ドイツは当時兵士による反乱がおこり、ヴィルヘルム二世はオランダに亡命しました。

これによって、ドイツ帝国が崩壊し、新たに共和国政府が休戦協定を結びました。

このようなロシアやドイツの終戦は、大衆時代の到来を告げる社会革命へと進展していきました。

日本でもこれに近いものとして、1918年の米騒動が有名でしょう。この米騒動には70万人の農民(大衆)が参加したとされています。

ヴェルサイユ講和会議のはじまり

では、具体的にヴェルサイユ講和会議の内容について見ていきましょう。

第一次世界大戦の戦勝国であった、米英仏伊(イタリア)日の五か国が議事を主導し、戦勝国全体の合意をドイツに受諾させる流れとなりました。

米はウィルソン大統領が、英はジョージ首相が、仏はクレマンソー首相が出席し、日本は首席全権としては立憲政友会の西園寺公望元首相が、全権としては牧野伸顕元外相が出席しました。

そして議論内容は、「旧ドイツ利権…山東半島・南洋諸島の帰趨(物事が最終的に行き着くところ)や人種平等条項」のみとなっています。

日本代表団の準備

ヴェルサイユ講和会議が行われていた時期はちょうど原敬内閣の時で、1918年に外交調査会というものを開きました。

そして先ほどのヴェルサイユ講和会議に全権として登場した牧野伸顕は、ウィルソンの提唱する新外交が今後の世界の趨勢になるとともに、治外法権の撤廃や義和団事件の賠償金の放棄などといった対中政策について考えていました。

それに対して、伊東巳代治という人物は軍備の縮小や海洋の自由を考え、田中儀一陸相は中国における治安の維持がない限りありえない、という中国からの日本の撤退を提案しました。

すなわち、これらの意見は旧外交的な発想から新外交への批判を表明していることになります。

最終的に、山東半島や南洋諸島などの「ドイツ領土の無償譲渡」を要求することに集中するのが、原敬内閣の基本方針になりました。

まだ、ヴェルサイユ講和会議の内容や日本と中国の関係性など抑える事例はたくさんありますが、それについては次の投稿で詳しく説明します!

まとめ~ヴェルサイユ講和会議で各国の思惑が衝突する!

今回の内容はいかがだったでしょうか。

少しでもヴェルサイユ講和会議の内容について、知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まる)

次回は先ほどにもいったように、ヴェルサイユ講和会議の続きと日本・中国の関係性について見ていきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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戦争ダメ、ゼッタイ…歴史から学ぶ

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