近代日本の歴史 第3講~ヴェルサイユ会議と日本(part2)~189(集中講義③)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

前々回から大学の集中講義のように数十回にわたって「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

第2講義は、ヴェルサイユ会議と日本について解説して、今回第3講はその第2講の続きを行っていきます!

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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「新外交」という概念を提唱したウィルソン

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ヴェルサイユ講和会議の招集(前回の続き)

いかに自分たちの利権を確保するか…

日本の対華21か条要求と米国の反発

今回はヴェルサイユ講和会議の中でも、中国と日本との関係性、米国と日本の関係性にフォーカスしてみていきます。

そもそも当時の日本は世界の中でもブイブイいわせる存在でした。例えば、日露戦争で旅順や大連を含む関東州の租借権をもらうことができました。

また、1915年での21か条の要求では中華民国の袁世凱政府(北京政府)に以下のような内容の要求を提示しました。

  1. 山東半島のドイツ利権の日本による継承
  2. 日露戦争で日本が得た南満州利権(東蒙古に拡大してうえで期間を延長すること)
  3. 漢冶萍公司→日中合弁化
  4. 中国沿岸の不割譲
  5. 日中共同警察の創設、中国中央政府の政治・財政・軍事顧問への日本人の採用(希望事項)
    →欧米列強の強い反発

これだけ見ても、いかに戦いに勝った日本が中国にすさまじい要求をしているのかが分かりますね。確かに、日本が敗戦したときにもGHQにめちゃくちゃにされたしね…戦いに負けるってそういうことです。

このような21か条の要求について、最終的には第5条を除いた形で日本政府が通牒し、北京政府が受諾したのですが、ウィルソン政権や中国国民は強い抗議がありました。

米国と中国の参戦

国際連盟と新外交…と旧外交

そもそも米国は1917年に第一次世界大戦へ連合国側として参戦し、欧州戦線に勢力を集中させました。

また、日本と利害関係を調整することが度々ありました。具体的には1917年の「石井・ランシング協定」が有名でしょう。

この協定ではまず日本は、中国における門戸開放・領土保全・独立を尊重する代わりに、米国は日本が満州に特殊権益を持つことを承認しました。

しかし、この石井・ランシング協定はウィルソンの14か条と矛盾が発生したため、1923年に廃棄されました。(ウィルソンの14か条についてはpart1を参照してね)

一方で、中国ははじめは中立的な立場を取っていたものの、1917年に第一次世界大戦に参戦しました。

ねらいとしては、ドイツ・オーストリアとの不平等条約の解消や講和会議による21か条要求の解消の可能性、義和団事件のドイツへの支払いの停止などが考えられそうですね。

ヴェルサイユ講和会議における山東問題

先ほど簡単にいいましたが、中国は欧米列強との交渉によって国権の回復を図る修約外交を開始しました。また、顧維鈞(こいきん)という中国のとある人物は、山東半島の日本への譲渡に反対する演説をしました。

これに対して、日本の立場として牧野伸顕は山東半島の自由処分権は日本にあるから山東半島は日本のものであると主張します。また、牧野伸顕は膠州湾租借地について、戦争で敗れたドイツ領の植民地の処分法とは異なるべきだといいます。

もちろん中国側(山東省)は、旧ドイツ利権の処分法は1915年の日中条約ですでに決定済みであると反論します。ちなみに、英仏は戦時中に日本と密約を交わしたこともあり、旧ドイツ利権の日本への譲渡を了承しています。

ウィルソンに関しては、そのとき国際連盟の発足に対して注力を注いでいたので、山東問題はある程度妥協していたそうです。

このような諸外国の了承・妥協もあり、日本政府は山東半島について次のように言っています。

「旧ドイツ利権の自由処分権を得た後、中国の完全なる主権のもとに山東半島を将来返還し、ドイツに認められた経済的特権のみを保持する」

表向きは「いずれ中国に返還しますよ~」って言っていますが、その背景にはどんな考えがあるのでしょうか?…そんなことを考えてみると面白いですね!

結局、山東諸島は日本の権益になり、南洋諸島の旧ドイツ領は国際連盟下の委任統治領になりました。

中国はこの後、五・四運動が起こり、北京政府はヴェルサイユ条約の調印を拒否することになります。

人種平等条項の否決

少し話は変わりますが、当時日本と米国の大きな問題の一つとして、日系移民差別がありました。

というもの、米国は1882年に中国系移民排斥法を制定し、その結果日系移民が増加しました。

そして日露戦争での日本の勝利が、米国での黄禍論(黄色人種を差別する)につながり、カルフォルニア州議会の州法では、日系移民の農地所有の禁止を制定したほど、日系移民差別は深刻だったのです。

よって、日本政府としては日系移民差別の抑制を図るために、人種平等条項の挿入を提案しましたが、諸外国の反対のために不採択となりました。

新外交と旧外交の並存

ヴェルサイユ条約は1919年に調印されましたが、これによって国際連盟規約が承認され、旧外交ではなく新外交が勝利したといえるでしょう。(米)

一方で、ドイツのみに戦争責任・多額の賠償金を課したことは旧外交の継続ともいえます。(英仏)

すなわち、新外交と旧外交が並存した状態になっているのです。

ちなみに、日本はヴェルサイユ条約で山東・南洋諸島の旧ドイツ利権の継承は承認されたものの、人種平等条項は否決され、山東半島の将来的な返還を約束してしまったので、ある程度の不満が残る結果となりました。

まとめ~ヴェルサイユ条約で新外交と旧外交が交錯する!

今回の内容はいかがだったでしょうか。少し専門的な内容で難しかったかもしれませんね…。

少しでもヴェルサイユ講和会議の内容について、知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まるからね!)

次回は日本社会について見ていきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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ヴェルサイユ講和会議に出席する牧野伸顕(右)

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