近代日本の歴史 第14講~米国移民法に対する日本社会の反発(part1)~200(集中講義⑭)

近代日本

こんにちは、けいタンです。

近代日本の歴史について説明します。

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今回取り上げるテーマは?

少し前から大学の集中講義のように連続して「近代日本の歴史」について解説しています。

参考した本は油井大三郎さんの「避けられた戦争」です。

第1講は話のプロローグとして、1920~1940年代の全体像を俯瞰的に眺めてみました。

第2,3講義は、ヴェルサイユ会議と日本について、第4講はヴェルサイユ条約の内容がいかに日本社会に影響を与えたのかについて、第5講は日米両軍による戦争計画について、

第6講は米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起について、第7講はワシントン会議での対立と合意について、第8講は米国がなぜ「門戸開放」にこだわったのかについて、

第9講はワシントン会議に対する日本社会の対応について、第10講は日本における軍部権限抑制論の台頭について、第11講はワシントン条約に対する日本軍部の反応について、第12,13講は米国の日系移民排斥と反米感情の噴出ということで1924年の移民法の成立について触れていきました。

そして今回第14講では、1924年の米国移民法に対する日本社会の反発(part1)に関して考えていきましょう!

あなたに考えてもらいたいコト

この集中講義の最大の目的は「20世紀前半の世界の戦争について振り返るとともに、どうすれば戦争(対立・コントラスト)を避けることができるのか?」

…すなわち、戦争を避ける道はなかったのか(戦争以外の別の選択肢を取ることができなかったのか)?ということについて考えていきます。

今の現代社会でも、ウの国とロの国が対立しています。

そして同時に、近代日本の歴史を学習する最大の理由は、過去の出来事から新たな知見を手に入れ、現代社会で応用することだと考えます。

あなたも近代日本、近代世界の功罪についてや戦争を避けるために必要なことを私と一緒に考えていこう!

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1924年の米国移民法に対する日本社会の反発(part1)

移民法が成立したときの日本の抵抗の動きを見ていこう

日本における抗議の動き

日本の抵抗運動の一つに、米国大使館前で割腹自殺する者が現れました。また、帝国ホテルに民族派約60名が乱入し、反米宣伝をしました。さらには、横浜の米国領事が暴行される事件も起こり、東京の主要新聞15社については、4/21に共同声明を出しました。

その内容は、ワシントン会議や米国の関東大震災への支援などによって盛り上がった日米親善が、米国移民法の成立で台無しになったという断腸の思いを記したものでした。

上杉慎吉の日米必戦論

憲法学者で民族派の上杉慎吉は「対米戦争の準備」を扇動した人物の一人でした。彼は1924年5/25に靖国神社で、同年6/6に国技館で抗議集会を開き、「日米衝突の必至と国民の覚悟」について講演しました。

それは、米国の物資的優位を認めながらも、日本人の民族精神と有色人種の連合で対抗することが可能であり、対米戦争の扇動につながりました。

また、明治以来の西洋化を否定し、国際主義者の主張を「非国民」と否定したのです。このような極端な民族主義的論理は、1930年代の軍部独裁体制下で一般化しましたが、この上杉慎吉の日米必戦論は排外主義的論理の先取りともいえるものですね。

徳富蘇峰の怒りと自制

過去の投稿でも何度か登場してきた徳富蘇峰は『国民新聞』で、1924年の米国移民法は排日移民法であると強く非難しました。移民法の実施日であった7/1は「国辱の日」…つまり、米国と手を切ってアジアの兄弟と手を握る日と考えたのです。

翌日7/2では、国際協調主義者はアメリカナイズした日本人と非難しました。というのも当時は、国際協調派は「非国民」扱いするナショナリズムの論理が台頭していました。

現に、『国民新聞』は反米報道をすることで部数を増やすことに成功しました。これについては現代社会でもいえることですが、国民はセンセーショナルな報道が受ける素地があるのです。

有名人のゴシップや北の国のなんかしらなど…よりセンセーショナルなニュースに食いつくのです。でも、すべてがそのようなニュースとは限りません。ジャンルを問わずいろんな情報をいろんな媒体で自分から手に入れることが大切だと思います。

話をもとに戻して、1924/7/3夕刊には「如何なる場合でも、自制は必要だ」と、対米戦争を唱道することは控え、国民に自制を訴えました。すなわち、強大な米国に抵抗するには、アジアと連携する必要があることを徳富蘇峰は痛感したのです。

アジア主義の起源

歴史がだいぶ前にさかのぼりますが、幕末では開国に反発するための攘夷運動が起こり、明治維新は文明開化の推進によって下火にされたものの、欧米列強が不平等条約を容易に改正に応じないことに対して、反欧米感情や反白人感情が高まっていきました。つまり、人種意識と合体する傾向があったのです。

また、歴史を掘り下げていくと日清戦争によって得られた権益も三国干渉によって、結局は中国に返す羽目になり、再度反西洋感情の高まりが起こったのです。

近衛篤麼という人物は1898年に『太陽』で「同人種同盟」について、最後の運命は黄白両人種の競争であり、欧州人との合奏は軽佻浮薄(軽はずみでうわついていること・さま)であるといっています。言い換えると、これからの時代は欧米ではなく、中国をはじめとするアジアとの友好を提唱したのです。

黄禍論を批判する白禍論

復習になりますが、日露戦争のときに欧米は黄禍論を唱えていましたが、同時に日本は白禍論を提唱していました。

日本政府は知米派知識人である金子堅太郎などを米国に派遣し各地で講演しました。金子は、日露の対立は「人種」や「宗教」によるものではなく、「国益の対立」によって起こったものだと語っています。

まとめ~米国移民法によって反米感情が爆発する!

今回の内容はいかがだったでしょうか。

少しでも1924年の米国移民法に対する日本社会の反発に関して知ることができれば大丈夫です!(まずは知ることから何事も始まる)

次回は、今回の内容の続き(特に「アジア主義」)について解説していきますので、お楽しみに!!

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それでは今日はここまでとします。最後まで見ていただきありがとうございました。

また別の投稿でお会いしましょう。けいタン
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参考文献:「避けられた戦争(油井大三郎)」

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↑ワシントン会議で日本が大きく関わったのが、「主力艦保有率、日英同盟、山東問題」など考えていくとたくさんあることが分かるでしょうね……

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